風呂に入ったら

鏡の中には、いつもの憎たらしい顔した不細工じゃなく、えらいすっきりした顔をした不細工が立っていた。なんだか憑きものが落ちたような、そんな感じの。いやあ、涙はすごいね、偉大だね。目からストレスって。ちょっとした呪術か怪獣かって話だよな。
今は割と現実を観じられてる気がする。ていうかどちらかというと放心に近いのか。だから相対的に象徴的な世界を構成する力が相当に弱ってる感じ。風呂上がりの心地よさとか、麦茶が美味いだとか、モナカをモグモグ食ってるだとか、そういったことばかりが頭の中身を占める。だから当然心地よい。風呂上がりで風が心地よく、麦茶が美味く、モナカは甘ったるくて失敗したかなって思うもまずくはないが故に総合すれば心地良く、象徴的なそれの介入する余地もないから、それがそのまま心地よさへと直結する。
そこに当然苦という名前の悩みはない。たとえ肉体的に不快な状況でも快なる状況を想定しなければ悩みにはならない。まあお釈迦様ですら痛いときは痛いっつってんだから、当然苦痛的な苦はあるけれど、悩みという意味での苦はそこにない。ま、いっか。そんな感じでこんな感じ。大分時間経ったから大分戻って来ちゃったけど、それでもまあ、肉体的な部分がまだ強い。ていうか目が痛い。泣き腫らすってのはこういうことなのかな。どんだけ泣いたんだよって話だけど、義っぽいシーンがやたらと長いんだからしょうがない。ていうか全体的に長いよ。何百話って。アボガドバナナかと。2日かかったよ。あ、ていうか、目が痛いのはそのせいか?ま、いっか。眠い。