食事にはあまり頓着がない。食える程度の味で、死なない程度の栄養があれば気にしない。せいぜい衛生を気にする程度。だから作る時はやたらと洗う。手やら物やら食材やら。軽い潔癖なだけか。
だから食にこだわる人の気持ちはいまいち把握できないが、食欲ってのは肉欲と似てるんじゃないのかなとは漠然と思う。身体的な原始的な直接的な快楽という点で。だからまあ素直というか正直な、割と素敵なことなんじゃないかなとは思う。よくわからんが。


でもまあ、何か言われると言い返したくはなる。頓着はないから別に気にしちゃいないんだけど、それでも言われたからには何かを言い返したくなる*1。酒も女も煙草もやらない奴は何が楽しく生きてるんだろうね、可哀想な奴らだ、的なノリに対する、ええ本当に可哀想ですね、酒や女や煙草以外に楽しみを知らないだなんて、的な返しを。
けど、自分のような立場の人が、いやはやたかだか食事だなんてものに楽しみを見出すなんて奇特な連中ですよ、的なことを言ってたら、やっぱり反論したくなる。まあ、天の邪鬼なんだろう。漢字で書くとすげえ強そう。天の、邪鬼って。


話は戻して反論話。そういった状況で浮かぶのは、食事と人生は似てるんじゃないのかなっていう思いつき。たかだか食事に楽しみも見出せない人は、同じように、たかだか人生にも楽しみを見出せないんじゃないかなっと。
前に書いた言い方で言えば、調理せずに食っても栄養補給だけど、調理して食ったら栄養補給の上に美味しいよって感じ。まあ手間はかかるけど、そこらへんも似てると言える。面白可笑しくやりたいのなら自ら動かねばならない。もし動かなければ、生きるには生きられるが、面白いことは望めぬぞ、的な。結局の所、面白いってのも所詮は幻的なものではあるんだけど、労力を費やし面白いことを望むか、面白くはないが労力を費やさないことを望むか、そういった話になる。
そこで話は最初に戻って料理の話。食事に頓着しない自分は料理を作らなくても良い環境にあったらどうするか。間違いなく作らない。食材もしゃもしゃ食べるだろう。同じように労を費やすくらいなら、だらだらしてたい、超してたい。と、まあ、極端な例ではあるけれど、食事でスタンスがわかるのかもなっと。いや、もちろん、食事には興味ないけど異性には興味ありまくりって場合はそっちで。労を費やさずに諦めるか、適当に費やして適当な所を得るか、全労力を費やしてでも最高を狙うか。そういったスタンスが繋がってるくるんじゃないかなっと。

*1:坊や、ていうかまあガキだから。