日本の子供は死んだ顔、途上国の子供は生きた顔

さて、ベタな話だけど、仮にそうだとして日本の子供と途上国の子供は何が違うのか。
以前、無常なる世であるにもかかわらず、親しい人が死んだことに対して、故人が一体何をしたっていうんですか!?と泣き叫ぶ人を見て、世が無常であることを理解してないから物が壊れたり人が死んだりしたら悲しくなるんやでーって話を思い出し、人は運悪く死ぬんじゃなく、運良く生きてるだけなんだよなあってこと書いたけど、多分そんな感じじゃないのかな。
社会や生活が安定していて、ある程度未来が展望できる日本の子供は、純粋な今日だけじゃなく、未来を含めた今日を生きているけど、途上国の彼らは純粋に今日を生きている。背負ってるものが違うからじゃないかなっと。未来を背負ってる彼らは今日が良い日でも今日から繋がるだろう未来が暗ければとても笑顔ではいられない。何とか未来を変えるべく頑張らなければならない。一方、途上国の彼らは、現に今日生きられていることで目標は達成されているようなもので、今日生きられている喜びを、運の良さを、噛みしめているんじゃないのかな、と、まあ、一概には言えないけど、何となくそんな感じを受ける。
元見た話では、途上国の彼らの笑顔を人間らしいと評していたけど、一般的に言えば、まあ定義にもよるだろうけど、より人間らしいのは日本の子供だろう。動物っぽくないことを人間であると言うのならば、今はまだ存在しない未来をリアルに感じてそれを背負ってる彼らはどうしようもなく人間なんだから。だから途上国の彼らは人間というよりも動物のそれに近い。いやこう言うとなんか野蛮がどうのこうのってニュアンスがこもっちゃうけど、良いも悪いもなく、存在しない未来よりも、現に存在する今を重視するって意味で、動物っぽい。
まあ、未来を背負うのは、ある程度開けた未来が待っている人以外には重い気がする。たとえば10年先には行き詰まるような、お先真っ暗な人が未来を背負うと、その重みに、たとえ現在が結構な良い日でも、暗く塗りつぶされてしまうけど、未来を背負うのをやめたならば、10年は結構な良い今日を積み重ねていけるように。だからまあ、何だっつーと、動物的にスイッチして、何とか頑張ろうっと。ははは、未来なんて背負ったら潰れちまうよ。