不思議と言えば

シャコが好きでよく食べるんだけど、シャコが好きだって言うと結構な割合で、シャコって水死体に群がってる云々という話を聞かされる。中にはそれで気分を害したり、食欲をなくしてしまう人がいるから、その手のちょっとした意地の悪い話みたいなのがシャコ好きに対するある種のお約束なんだろうけど、それで気分が悪くなる心理が純粋によくわからない。シャコを経由した食人に繋がる感覚が嫌なのかな?それとも腐乱した死体を餌にしてたものを食べるのが嫌なのかな?そこらへんがいまいちわからない。
そういえば以前、牛乳が苦手だという人に、牛乳のどこらへんが駄目なの?っと聞いてみたことがある。自分は1Lでも2Lでも、別に腹を壊す?下す?ことなく、普通に飲めるから、やっぱりそこらへんなのかな?っと思って聞いてみたのだけど、別にそこは問題じゃないらしい。え?じゃ何が?っと再び聞くと、だって牛の乳だぜ?なんか気持ち悪くね?っと、逆に聞き返された。それもいまいちよくわからなかった。
思うに、リアルな、でかくて臭くてヨダレが垂れてて、そんな牛の乳から搾り取られた得体の知れない液体、みたいな風に想像したら気持ち悪いのかな?もしそうだとしても、自分にとって牛乳は、むあむあっと湯気だった牛から搾り取られた液体ではなく、パックに詰まってる白い飲み物として認識されちゃっているから、抵抗感なく飲めるし、今リアルなそれを想像してみても、イメージを書き換える程には至らない。生の魚を捌くのは抵抗があり触るのさえ嫌がっていたのに、焼かれた魚は手に取りパクパクと食べる少女に、さっきはあんなに嫌がってたのにどうして?っと聞くと、生の魚は生き物だけど、焼いた魚は食べ物だからいいんだよ、って答えた話にも似てるかもしれない。
と、まあ、そんなことを思い出した。シャコの話も、想像力が豊かな人にとっては、リアルな腐乱死体が思い浮かび、それを食べていたシャコを食べることに対して、抵抗感が出てくるのかな、っと。まあ、単純に自分の考え方が雑なだけかもしれないけど。