まとまってないけど忘れないようにメモ

夏は暑い。自分が住んでる所は特に暑い。冷房なんて上等なものはないので扇風機とアイスノンと氷で何とかやり過ごす。だから氷をやたらと消費する。氷をコップにたっぷり入れて冷蔵庫で冷やしてた飲み物を注ぎ、キンキンに冷えた所でごくりと飲み干す。そして氷をガリガリボリボリ。くーっ、涼しい。と、一時はなるものの、部屋は相変わらず暑いので、それを何度となく繰り返す。自然、氷はすぐになくなり、希少なものと成り果てる。
前置きが長いけど、そんな前提の話。この前、氷をたっぷり入れた飲み物を一口飲んだ後に、ふと眺めてみたら、髪の毛が浮いていた。長さ的に自分の髪の毛。恐らく、飲み物を注いでる際に入ったんだろう。氷を捨てて新しい氷を入れようか。でも氷は貴重だし、もう一回分も残っておらず、現在絶賛製氷中。では飲むか。いやそれも何だか気分が悪い。いやさっき一口飲んでもわかんなかったんだし気にするなよボーイ。いやでもなんだかなあ。そうだ。いいこと思いついた。何だいボーイ?氷を捨てずに飲み物だけ捨てて、水で注げばキレイキレイじゃね?気分はキレイで、氷も残る。グッドアイディーア、ボーイ!つーわけで、実行に移したわけなんだけど、氷を落とさないように注いだ水を捨てている時にふと思う。これって禊ぎじゃね?っと。コップを逆さまにして氷も捨てた。
夏は暑い。ということで、風通しをよくするために、普段からドアを開けている。おかげでぴゅーぴゅー風が通る。この前のこと。用事があったので出かけることになったが、家には祖母が一人いる。開けっ放しはまずかろうということで、鍵を閉めることにしたのだけど、よくよく考えてみれば、サムターンで余裕で開きそうなチャチなドアの鍵を閉めたところで、開けっ放しと大して変わらないんだから、風が通り抜けて涼しい分ドア開けておいた方がいいんじゃね?っと思う。そしてこんなことを思い出した。
自転車を盗まれたと悲しむ友人に対し、皆は慰めていたのだけど、その盗まれた人間は鍵を閉めていなかったということを聞いた途端、それはお前が悪いよと批難し始めた。盗まれた人間は鍵を閉めたところで、盗まれるものは盗まれるんだから、盗まれる可能性は以前として変わらないくらいにあるんだから、鍵を閉めてない途端に批難する、鍵を閉めていれば大丈夫だっていうその考えはよくないんじゃないか、と逆ギレする話を。
自分も今、似たような状況だ。鍵なんか閉めなくても変わらないだろうっていう、ちゃちな鍵を閉めるか閉めないか。そして鍵を閉めない方が風通しがよくなってむしろ涼しいというプラス要素つき。それでも自分は鍵を閉めた。もし仮に、鍵を閉めても閉めなくても、泥棒が入る可能性はほとんど変わらないとしても、と考えた上で鍵を閉めた。なぜか。これもまた禊ぎというか、エクスキューズというか、自分は鍵を閉めたのだから、やるだけのことはやったのだから最悪の事態が起きたとしても、凶悪な犯罪者が入ってきて惨殺されるとか、それは運が悪くて仕方のないことだったと、言い張れるように、効果はほとんどないとしても、鍵を閉めるんだなっと、そんなことを思いながら鍵を閉めた。
今のは禊ぎの話じゃなかったかな。まあ、いいや。3つめ。飯を作るときはやたらと水で洗う。食材、食器、調理器具。でもこれも、よくよく考えてみれば、衛生を気にしているというよりも、強迫神経症的な意味合いが強い気がする。だから、汚れが落ちるように丁寧に洗うというよりも、穢れのイメージを落とすために禊ぎとして申し訳に水を使う。だから付着した汚れを基準に料理をしているのではなく、イメージとしての穢れを基準に云々かんぬん。
ちょっと無理あるかなー。でもまあ、脳内で近接しているエピソード。禊ぎ?タグで関連づけられている。