理屈で言えば

昔のギリシアの偉い人は、子供が死んだって聞かされても平然としていたので近くにいた人が、お子さん死んだんでっせ?なんで平然としてまんねんや?っと聞いたところ、死なない子供を持った覚えはありませんから、みたいなことを言ったらしい。物を失ったり人が死んだりして悲しむのは、この世が諸行無常だってことを、ちゃんとわかってないからだよねー、って話の例にもなる*1
主人公が余命半年とかの話だと、周りのキャラは殊更に悲しむ。芝居がかった風に今まで意識すらしてなかった神に逆ギレする。神様あの子が何をしたって言うんですか!?そこに人は死ぬ生き物だって考えはなく、人は病気や事故などに遭わず80年くらいは生きるものだって考えだけがある。運良く生きているのではなく、運悪く死ぬのだという考えが。
諸行無常だよねーっと、念頭に置くならば、半年後には死んでるかもしれない主人公と悲しみを隠しながら過ごすのではなく、一期一会じゃないけれど、運良く皆が生きている今日を喜びながら過ごした方が適当に思える。つるんでる友人達が余命半年の主人公より前に揃って事故で死んじゃう可能性だってあるんだから、皆が運良く生きている今日を喜ぼうよ、と。
まあ、理屈で言えば、そう思うんだけれど、実際はなかなか難しい。でも、2段落目のような振る舞いは好ましくは思わないので、最初のギリシアの人や、3段落目の振る舞いのようにありたいもんだなーっとは思う。

*1:常なるものが無い世なのに、物や人が常ならぬことを嘆くのは、この生きている世界が常なるものの無い、無常であることを理解してないからですよねーって感じの話。現在立川に住んでる聖人が言ったとか何とか。