事故の話

例えば事故で人を殺すのが異様に怖くてしょうがないってのもそういう話で、自分としては別に殺すこと自体を忌避してるわけじゃあない。怨恨による殺人とか、戦争で命令されての殺人は、全くの抵抗がないってわけじゃないけど、別にいっかなって程度の認識であって怖くてしょうがないってことはない。
じゃあ何が怖いのかっていうと覚悟をしていない時に、平々凡々と一般的な常識的な市民として暮らしてる時に、殺すつもりが全くない相手を殺してしまうことがとても怖い。普段の自分が事故による殺人者に対して認識しているイメージを引き受けねばならないから。たまにドキュメントとかで見る何十年経っても線香を上げにきて、罪の意識に苛まれ続け、幸せになってはいけないと呪われ、しかし死ぬことも赦されることも許されず、生涯苦しみ続け償い続けねばならないという、模範的な加害者のそれを*1
なぜなら被害者を殺してしまった時の自分は、自らの意思で殺人して後悔しなかったり悪びれたりする殺人者ではなく、事故の加害者に対してそういったイメージを持っている一般的で常識的な一市民としての自分なんだから。自分はそれを知っているから、そういったイメージを持っていて、そして自分はそう考えるときに人を殺してしまったとわかっているから、それを引き受けなければならないし、そこから逃れることができず、その模範的な加害者としての自分を、これから先、模範的な加害者像がそうであるように、一生背負っていかねばらなくなるから、それが怖くてしょうがない。

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なぜ引き受けねばならないのかっていうのは、なぜ万引きをすると心が痛むのかって話に似てる。万引きをすると心が痛むのは、自らがそれを悪い行いだと認識しているから。そしてどんなに自らの行いを完全に隠蔽したところでそれを知っている者、自分自身という存在がいるから。
だからもし仮に、万引きを悪い行いだと思っていなかったとしたら、心なんて微塵も痛まない。だって万引きをしたことを自分自身が知っていても、別にそれは悪い行いではなく、息を吸うように当たり前な行いであって、わざわざ気に留めることじゃあないんだから。
しかし万引きを悪い行いだという価値観を持っている場合、そう認識している場合に、万引きをしてしまうと、自分の中で悪とする行いを自らが犯してしまったことを、他の誰でもない、自分自身に知られてしまい、そしてその事実をこの私が、自分自身がそれを知っているということを知ってしまうということであるのだから、その事実に向き合わない限り、強迫的に心が痛み続ける。

マフラーに限らず売春とかでもそうだけど、もしそれに値段を付けて売り渡してしまったら、もうそこに幻想は宿らない。なぜならそれを金と交換してしまった私を見た人がいるから。他の誰でもないこの私自身が。故に誤魔化すことはできない。確かにそれを隠蔽しようとする心の働きはあるけどこの私自身がはっきりと見てしまってる以上、それは強迫的に亡霊のようにつきまとい離れることがない。私が、私自身がそれを知っていたと、認めて受け入れるまでは。

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そういった理屈で言えば、例えば罪は3年で許されるという価値観を持つ人が事故を起こした場合、3年以降は苦しむことはない。もし仮に被害者の親族が罵り続けたとしても、あくまで自分は3年償ったのだから、以降の罵声は理不尽な要求として処理される。
でも自分の価値観としては、深夜のドキュメントで観たような、20年経っても焼香をあげにいくような、生涯を喪に服して生きるような、そんなのが模範的な加害者像として認識されてしまっているので、自らが事故を起こして人を殺してしまうことが何よりも怖い。戦争での殺人や怨恨による殺人なんて目じゃないくらいに、思わず足が竦んでしまうくらいに。
だってもしそういう価値観を有している自分が事故により人を殺してしまった場合、そういった価値観を持っているときに人を殺してしまったことを、自分自身が知ってしまっているのだから、もし仮に被害者の家族がもういいんですよって言ってくれたとして、自分もご家族の方がああ仰っているのだからいいんじゃないかと肩の荷を下ろそうとしたところで、その当時に有していた価値観を知っている自分自身が、強迫的に迫ってくるだろうから。
模範的な加害者像みたいなことを思ってたくせに、赦されるとでも思っているのか?ご家族もああ仰ってくださってるじゃないかと反論したところで、人の命を奪ったことに代わりはないないんだぜ、などと囁き続けるだろうから。事故の加害者なんて、模範的な加害者像みたいに、苦しみ続ければいいんだからと考えていた負い目があるから、数年で赦されるという現実もそこを引き合いに比べられ、消えることがないだろうから。
なげーけど、そんなこんなで、事故が怖くてしょうがない。

*1:そういった意味では、まさに、人を赦すことは自らを赦すことに繋がる。