理屈
理屈好きの癖に理屈じゃわからないこともあるっていう話がたまにあるけど、そんなのが好きじゃないくらいには理屈好きではあると思う。理屈じゃわからないことがあるんじゃない。違う理屈があっただけだろ、って。たとえばダブスタなんかも、ほら理屈だけじゃないんだ、ってんじゃなく、下のような理屈があるんだと、考える*1。
例えばダブスタにそれは現れる。ヨーグルトに砂糖を入れるのは本場ではやらないと周りを批難しておきながら、酸っぱいキムチは嫌いだと言うので本場では酸っぱいのも食べるらしいと伝えると本場なんて関係ないと言う態度は、本場での食べ方があってヨーグルトやキムチがあるのではなく、ヨーグルトに砂糖を入れない食べ方が好きだから援用し、酸っぱいキムチは嫌いであるから援用しなかっただけであるように。
id:snyd:20080301:1204346176
だから正論は好きじゃない。え?理屈好きなんて正論好きでしょ?って感じだけど、だからこそ好きじゃない。これ正論よね!なんて言われたらトサカに来るくらい好きじゃない。
以前、とあるマンガで、正論ばっかり吐いてた、とある上司が部下の結婚式のスピーチで諫言した後に反省するという話があった。確かに発言の内容は正論だ、でも、結婚式のスピーチで言うようなことでは、部下の晴れ舞台で言うようなことではなかったと。部下のために諫言する、これ正論よね!急ぐべき内容ではないんだから時と場合を選んで発言する、これも正論よね*2!別にたった一つの真理でもない、もっともらしく聞こえる意見のたかだか一つを、他の正論の可能性も考えずに、それこそ正しい論であるかのように振りかざすのが好きじゃない。
どっかの教授が書いてたけど、これは○○が言ってるから、と言うことで十分な説明になっていると思っている人とは話が通じないってことにも似ている。どんな偉い昔の人がそう言ってたところで、それは真理の書でもないんだから、意見の一つであって論拠にはならないだろ、と。そう言ってる偉い人の意見を持ち出してお前がどう考えたのか、お前自身の意見が大事なんだろっていう、あの話にも似ている。正論だから、とそれだけで論拠にしてしまうことは。