明治生まれの人の講演集みたいなのを読んでいたら

近頃の旅行というのはパックになっていて、何時にどこ集合、何時に何で移動、何時にどこを観光、何時に何を食べて、何時に出発して、といろいろ決まっておるらしいですが、気軽にぶらぶら歩き回る、私どもが知っている旅行とは大きく変わったものとなっているそうですな、的なことを書いていて、それ見て初めて、ああ旅行ってのはそういうもんだったんだな、って思った。ガキの頃から旅行と言えばパック旅行みたいなんばっかりだったから、そもそもそれが旅行じゃないなんて発想はなかった。
以前、体験した自転車の話。糞暑い中で行程を思うと、まだ1/3も来てないことに嫌気がさしたので、横道の知らない道にそれてみたら、見知らぬ道をずんずん進むのが楽しくて、気がついたら目的地の手前に着いていたって話あったけど、それとも似ている。自分はエロゲの攻略見ると何かやる気なくなるよねーって話と併せて、主体感ってことを書いた。自分が何かをさせられているのではなく、自分が何かをしている感じ。

見知った行程ならば、それに沿った行動を自分がさせられていると感じるけど、見知らぬ道を自分の判断でずんずん進んでいく場合は自分が行動していると感じるように。エロゲの場合はもっとわかりやすくて、攻略サイトなんか見ずにやる場合自分の判断で選択肢を自分が選んでいると感じることができるけど、攻略に従う場合はすでにすることが決まっている行動を自分がさせられているだけだと感じるように。

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明治生まれのその人は、高度経済成長が終わり、固定化してきた社会と併せて論じていた。どの学校を出て、どの会社に入り、どのくらいの金を貰い、どのくらいの年金で、どのくらいで寿命を迎える、的な構図ができてしまったので、パック旅行の旅行者が、私がぶらつくという固有の体験から、誰でも参加すれば同じような体験ができる、部品的なものとして扱われるように、先行きが見えてしまう人生についても、部品のように感じてしまい、やる気でないよねー的なことを。
行程が決まっていると、私がしているという主体感が失われ、私がさせられていると感じてしまう。それはなぜか。なぜだろう。うん。なんか眠いし飽きたしどうでもいい。またいつの日か。それにしても飯食った後の眠気は異常。消化のせいなのかな。食い終わってちょっと経って消化に入ってるのかなってくらいが一番眠いし。