基礎鍛錬ばかり指導する師匠に反発する弟子。もっと実践的なのを教えてくれよ。諭す師匠。小手先の技術はいくつになっても身につけることができる。一番伸びるお前くらいの時期に基礎をするのが一番なんだ。その後は師匠が人並み外れた力を見せて弟子が納得したんだけど、こういうのは割とよくあるよねっと。

確かに長期的な視点で見れば、火を見るよりも明らかではあるけれど、弟子の短期的な視点からすれば、もどかしくてしょうがない。本当に毎日こんなことばっかりして上達するのだろうかと焦る気持ちに逸る思い。確かに師匠からすれば過ぎ去った日々であり、その時間感覚は体験したものであるのだから、あああの頃は基礎をもっとやってれば良かったなっと思うんだろうけど、弟子からしたら毎日がまだ見ぬ未来であるから、そんな悠長に余裕を持つことなんて出来やしない。

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どこぞの知識人が読書体験みたいな話の時に、22、23の頃はカントの実践理性批判を読んでたかな、原著で、みたいなことを言っていたけど、ある程度歳を取ってから振り返ってみると、確かにそういう風な語りができる。1年とか2年とか、難解とされる古典の名著だけを読むといったことが。
しかし、いざそういう状況で考えてみると、ひたすら1冊の本だけを精読するというのは、なかなかどうして勇気がいる。まさに上の例での弟子のように、いくら重要な基礎であると、名著だと言われたところで、小手先の技術をいくつも身につける方が、何冊何十冊と数を重ねた読書の方が、目に見えてわかりやすく、なんか俺頑張ってるんじゃねって感覚を持ちやすいから。
でもまあ、20代の1年と60代の1年を比べるに、理解能力って点で考えても、以後の人生という点、20代に重要とされるのを読んで以後のベースとするか、ライトなのを読んで60代に重要とされるのを読むか、という点で考えても、師匠の言うように、若い内に基礎を固めておいた方がベターであるのは確かだろうから、目先のものに惑わされるような短期的な視点で考えるのではなく、腰を据えて長期的な視点によるプランに従って、行動していくのもいいのかなあっと。
どこぞの経済学者が、人間なんて25、遅くとも30くらいまでに身につけた政治哲学、経済哲学をベースにしちゃうから、それ以後に新しい理論の影響を受ける人なんてほとんどいないよねー、みたいなことを言っていたけど、そういった意味でも、身になるようなもんを読んで置いた方がいいのかなーっとは思う。えー、むしろ読まずにおけば、30以降も自由な視点で云々って気がしないでもないけど、それは単なる空手だろうし。体系的な武術としての空手を学んでいない、徒手という意味での空手。それに思想を得たから云々というよりも、加齢による思考の硬直性云々って話にも読むことができるし。まあいずれにしろ。