まとめずに

男は日常生活と夜とのギャップに興奮したりするけど、同一人物の理解し難いまでのギャップっていうか、シンプルに別人だよな。同一人物は常に同一人格を有するという幻影。日常生活のインプットに対する反応としての日常人格と、夜の生活時のインプットに対する反応としての夜人格。特に刺激のない前者に対して、刺激されまくりでドーパミンに溢れる後者。そもそものインプットが大幅に異なるのに同一人格の現れを期待するのは無理があるだろう、と。って、やっぱり想定してる前提が違うのかな。インプットに対する現れとしての自我ではなく、いつでも常に変わらず待機している自我って感じで。まあ、いいや。
インプット→回路→アウトプットって考えで言うならば、同じ回路を持っていてもインプットによって現れは変わるし、回路自体も経験によって変わり行くから、同じ人格の現れは原則的に存在しない。じゃ、自分の同一性はどうなるんだ云々ってのは、ラノベの定義はラノベレーベルから出てる本っていう明瞭な定義のように、自分という肉体の現れとして現れているのが自分という現象ってことになる。同一性云々って考え方からしたら、まさに別人。じゃ同一性に悩むのかといったら、過去の自分に縛られて現在の自分を制約するような、んな面倒なことはせず、現在の自分と言われてる肉体からの現れは、どんなのであろうが、紛れもなく自分であるのだから、素直に、はつらつと、インプットを反映して、自分自身を謳歌する。そういった意味で、別人的に見えるくらいの現れは好ましいし、同一人格を幻影するのは愚かしい。