コインを弾けばいい

表が出ればする。裏が出ればしない。するかしないか。問題に直面したらそう対処すればいい。ただしそれは神のコイン。過つことのない正解のコイン。コインの通りにして不運があったとしてもそれはコインが違えたわけではなく、選ばなかった違うルートにはもっと大きな不運が待っていただけの話。何せそれは正解のコインなんだから。
何それまるで占い信者みたいな態度じゃない、って感じかもしれないけど、試しにやってみるのも面白いんじゃないかなって思う。後悔しない選択を、ではなく、選択してから後悔しないこと、に必要な態度は、極端ではあるけれど、これと似たような所がある気がするから。反省ではなく後悔。これから先の選択に生かすための反省ではなく、以前の選択を延々と後から悔やみ続ける後悔。
後悔を避けるためには、仮に不運があったとしても、もう一つの選択はもっと不運が待っていたのだからという、そういった開き直りにも似た姿勢が、受け入れる土壌を作るんじゃないかなっという風に思う。開き直り自体にではなく、開き直りを長いこと続けていれば、自然と過去の選択を悔やむために振り返ることなんてなくなるだろうように(だって正解のコインによって正しさは保証されているのだから)、その副産物としての態度として。


あるいは判断基準を変えてしまうというやり方も考えられる。結局の所、過去の選択を後悔するってのは、結果によって行為の正否が決まる、功利主義的な判断によるものであるとも言えるのだから、当時の行為を手続き的に判断すればいい。要は結果論なんか、塞翁が馬みたいな例を考えると、正否がコロコロ変わって面倒くせえから、その当時の状況を当時の価値判断から鑑みて、正当かどうかを考えればいい。
青信号を渡ったら車に轢かれた。ファッキン畜生。もう少し遅く渡っていれば。でも病院で看護婦と出会って結婚した。ラッキーベイビー。あそこで早く渡ったおかげだ。でも離婚して財産奪われホームレスに。ファッキンビッチ。やっぱり遅く渡っていれば。でもホームレス生活をネタにした小説が当たって芥川賞。ラッキー龍之介。あそこで早めに渡ったおかげだ。でも遊び人な生活が災いしてまたもやホームレス。ファッキンエンドレス。って感じで、この後に何通りも想像できるわけだけど、いちいち結果を基にして考え後悔するのも面倒くせえから、青信号を渡ったこと自体は、全然悪くないのだからと、そこで振り返るのをやめちまえばいいんじゃないの、っていう考え方。あそこで後1秒遅く渡っていれば、なんて当時の状況から考えて、知りようもなけりゃ、青信号を渡るって行為自体も間違っていないんだから、後悔する必要はないよねっと。まあ、これはどちらかというと、後悔しない選択を、に近いけれど。