だから例えば

筋肉痛なんて生っちょろいものじゃなく、今まさに、過負荷に耐えかねて断裂した筋繊維の数々が、熱を持って痛みを発するその状態で、更にタスクを命じてみると、どうなるか。痛いよ痛いよもうダメだよ、って思う心を押しのけて、ただ単純に、Doと命ずるとどうなるか。不思議なことにボロボロに思えた体はcanできるってんでDoしちゃう。そしてそれは痛みが増そうと変わらない。筋繊維が文字通りズタボロになり、負荷に耐えられなくなって初めて失敗する。失敗はするが、Doと命じることも、チャレンジすることも、以前と変わらずできる。ただ、ズタボロの筋繊維が、実行できるほどの力を有していないだけで。
するってーと、どうなるか。この痛みは私の痛みだと思ってたけど違うんじゃないのかな。私が痛いんじゃなくて、私の身体が痛いってシグナルを発しているだけじゃないのかな。なんてことになったりしないかな。かな。ま、知らないけど、昨日の話は、こんな感じの経験を踏まえた上での変容なんじゃないのかな。かな。っと考え候。だから筋肉痛だろうが、当日痛だろうが、距離を置いて感じられる。あらあら危険信号が多発頻発カスケード。でも残念。Do。とまあそういった具合に、へー、はー、そうでっか。右足踵、左足脹ら脛、右下腕の痛みが強く、軽度の痛みを含めると、ほぼ全身が筋肉痛。でも残念。Doでんねん。とまあそんな感じに命令伝達上意下達。故に全身痛でも割合他人事。あー、全身が痛んでますなー、へー、はー、ほー。でも、ま、あっしにゃ関係ないことですから。はははふふーん。と。
あれあれ?体痛ないんですか?いやいや体は痛いですよ。じゃまた何でそんなふつーな顔してるんでっか?いやだってそりゃ体は痛いですけど、私が痛いわけじゃないですからね。あー体が痛がってるなーっとは思いますけど、そりゃ私が痛いわけじゃ、私の痛みじゃありませんからね。とまあそんな感じ。いやー、アレだね。アレな人だね。考え方が。こいつ切り離しよったで。ていう気もしないでもないけど、ま、現状としてはそんな感じ。アレかどうかは置いとくと、ま、これ、便利ですわいね。とまあそんな心持ち。
d:id:snyd:20081113:1226563677