こんな実験がある

10匹のラットを入れたaとbの二つの箱を用意する。箱の上は小さな穴がいくつか空いたアクリル板。aのは透明でbのは不透明。これで準備は終わり。後はラットを殺す何らかの道具。吹き矢でもいいしレーザーでもいいけどある程度の大きさを持つもの。さて、それでラットを任意の時間毎に殺していくと変化が生じる。aのラットは恐慌する。最初の3匹までは気付かないことが多いが、どの場合も4匹目くらいになると学習し、透明なアクリル板の上にラットを殺す装置がくると暴れ回る。一方bの場合は何も起こらない。ラットを殺す装置が見えないから思い至らない。不審には思っても最後の一匹まで恐慌することはない。
パニックに関する実験なんだけど、これを聞いた時、人間の寿命が頭に浮かんだ。ろうそくの灯火が、なんて古典的なものでも、死神が近くに、なんてものでも、どんなのでもいいけど、死に行く存在なのに、こんなにも平静に過ごしていられるのはそういうことだよなーっと。死ぬからこそ今を賢明に、とか、己の死を受け入れて、とかではなく、不透明なアクリル板によって不可視だからこそ、忘れていられる、考えないでいられる、ラットと同じ程度。
話は変わって逆行物の話。なんじゃそりゃ。二次創作などでよくある、作品終盤などその後の知識を持った主人公が序盤になぜか戻り、やり直す話。言葉にすると、ひどい最低物って感じだけど、ま、気にしたら負け。確かに知識を生かして、俺Tueeeeeする話も多いけど、中には逆行の葛藤を描く話もある。例えば原作通りに進めたら原作通りになって上手いこといくのはわかっているんだけど、そのためには原作通りに途中で死ぬ多くの人を見殺しにしなければならないとか。これはなかなかに難しい。上手くいく可能性が低い作品の場合は尚更。失敗したら人類滅亡とか。葛藤する作品の多くは、でも何とかしようと藻掻き、いくつかは見殺しを許容できないのは覚悟が足りないとして見殺しを選択する。難しい。
一つ言えるのは、これも上の実験と一緒だよなっと。未来に行ける少女が、新聞は見ないよ、だって誰が死ぬかなんてわかったら助けずにいられるかわかんないもん、なんて言っていたけど未来を知るっていうのはそういうことだよね。だからもしアクリル板が透明になったら?嫌だね、全く。暗室に閉じこめられないと好きにやることもできなくなる。いや、好きにやってると思えること、か。最後に、まあ、言うまでもないことかもしれないけど、一応。そんな実験はない。