キャラの戯れ

人類は長い歴史の中、3つの物語で満足してきた。イリアスオデュッセイア、聖書。その3つの物語を、手を変え品を変え、様々に紡ぐことによって物語を受容し満足してきた云々。そんなこと書いてる作家がいたけど、ネットに溢れる2次創作を読んでると、その話が頭に浮かぶ。原作再構成から、オリジナルの主人公、果ては他作品とのクロスオーバー。原作が様々な形に紡がれる。
その作家は人間が物語を求める云々みたいなことを書いてたけど、2次創作を読んでいて思うのは、物語への欲求というよりは、キャラの戯れなんじゃないかな、っと。基本的にほとんどの作品は原作のプロットをなぞる。設定を変えたことによる差異はあるものの、
って、そういえばその作家は、みんなが知ってるその3つの物語と、紡がれた新たな物語との差異を楽しむ云々とか書いてたなー。この後には、キャラがきゃっきゃわいわいしてるの見るのが云々だよねーって展開を考えてたけど、そう考えるならちょっと違ってくるのか。すでにキャラも世界観もテンプレも頭に入ってる、たとえば時代小説のシリーズ物は読みやすいよねー、ってのとか、なんだかんだ自分が好きなマンガを何回も読み直しちゃうよねー、ってのと似て、差異を楽しむことによって、間接的にその原作の物語を反復的に楽しんでいる、って考えた方が妥当なのかな。同じ物語を何度も読むのはだるい。でも面白い物語だった。そうだ少し違う物語を読むことで二重に楽しもう、みたいな。あー、そっちのがなんかいい気がするなー。両方っつーか、合わせ技一本って気もするけど、でも、ま、保留。暇なとき考えることリストに逆戻り。