ミミズを3匹ほど殺してしまった。あちゃー、悪いことしたな。まずそう思い、次にこう思った。釣りする人間ほどじゃねえだろうが。
いや違う。釣りの場合はエサとして云々という反論が頭に浮かぶと、関連事項として、ブタの映像が出てきた。戯画化されたブタさん。ぼくの命を美味しく食べてブー。何の理由もなく命を奪われるのは許せないけど、食べるためならばしょうがない。そんなよく聞く文句も頭に浮かぶ。本当か。もし自分がブタだとして食べるためならしょうがないと思えるか。
思えない。つーわけで嘘である。正確には多分こうだ。何の理由もなく殺されるのは死ぬほど憎いが、食べるためだとしても殺されるのは死ぬほど憎い。つまりは向こうがどんな理由を持っていようと殺されることは死ぬほど憎むに値する。当たり前の話。そんなのこっちの都合でしかないし、何らかの理由があるから、何らかの用になるから、食べるため、食べる魚を釣るため、と区分をつけて罪悪感を逃れるための手段でしかない。いずれにしても殺したことに変わりはない。食べるにしろ、気まぐれにしろ、使うにしろ、遊びにしろ。
動物は復讐をしないをベースに転がすこともできる。あるいは、痛みを感じることができるか否かでも。や、そういう区別はあんまり好きじゃないんだけど。ま、感覚的に一番健全だと思うのは鶏を当たり前のように捌くどこぞの国の幼女を見て驚いた、っつー話に出てくるような幼女。あるいは、にゃはは、敵をいっぱい殺したのだ、と満面の笑みで答える恋姫の張飛(幼女)。多分それくらいで丁度いいんだと思う。や、幼女じゃなく感覚として。死ってのは、全ての命に感傷的になるもんじゃなく、本当に身近な人間に対してだけ抱くような、そんな感覚が、良くも悪くも自然なんだろうなっていう。