生きること。ただそれだけを肯定すること。たとえそれが餓鬼畜生が如き生であろうと。ただ肯定すること。結局のところ、そういうことなんじゃないかな、っと3人の登場人物のことを考えながら思う。
1人は善良な母親。人を騙す人間になってはいけない、騙すよりも騙される方がいいんだよ、と子に教えていたのだけれど、友人に勧められたマルチをマルチと知らずにせっせと他人を勧誘、つまり騙し続け、気付いた頃には被害者を沢山こしらえる。無理にやめて違約金を取られて自らに保険金をかけた後、自殺。
1人は同性愛者。カミングアウトした後の両親は優しく、理解ある態度で示してくれるものの、今までは縁のなかった新興宗教にハマる。息子のために。
1人は何の変哲もない、生きる価値のない人生を送る人々を愛した人間。ただただ平凡で、ぐずで、特筆すべきことのないような、凡庸で、何一つおもしろみのない、もしも人間になる前に多くの魂が列をなしてるとして、誰かこの人生おくりたい魂いる?って聞いたら、人間っていう有利な職であるにもかかわらず、みんな思わず、うーん、っと唸っちゃうくらいの、わざわざ生きる価値のない人生を送るような人間を愛せるかどうか。
1人目は正直に生きなさい、という言葉にひっかかって死んだ。正直に生きることに価値があるとしたので、知らずに騙してしまった場合、つまり正直に生きなかったので、自責とかそこらへんで。2人目は他人の期待の話。中でも親はわかりやすい。親は普通に結婚し普通に子供を産み普通に孫の顔を見ることを望む。それが何らかの理由で期待に沿えない時、なんだかこっちが悪いことをした気がするけど、本当にそうなのか、どうか。3人目の話は1人目に近く、それをより広くした例。人々の生き方に価値を置く場合、本当にぐずな人間は価値を見出されない。彼らは何の変哲もない生き方しかしてないし、できないから。そうした人間を、つまりは生き方、能力、価値に関係なく、人間であるというだけで愛せるかどうか。
そんな3人のことを考えてたら、冒頭のような結論となる。生きること。ただそれだけを肯定すること。たとえそれが餓鬼畜生が如き生であろうと。ただ肯定すること。他は何も望まないくらいに。理想の生き方どころか、できれば他人に迷惑をかけないだとか、そんなことすらも。それほどに強い肯定。勉強を苦に自殺した子の親が、不思議パワーで子が死ぬ前にタイムスリップした時のように。生きているだけで、ただそれだけでいいから。そんな肯定。ま、しばらくすれば、また何かを望み始めるだろうから、難しいものではある。