以前読んだ速読の本にこんな話が載っていた。
本は一字一句読まなきゃならないと小学校とかで教わりますけど、あれ、ウソです。そんなことはありませんし、あれ間違ってますから、そんなアホな考えすぐに捨てちゃって、ガンガン飛ばし読みしちゃいましょう。そっちの方がずっと正しいです。飛ばし読みなんてけしからん。それが正しいなんてわけがあるか。そう言う人いますけど、一字一句読まなきゃならないと思うとだるいですよね?だるいと本を読むのが億劫になる。億劫になると本と疎遠になる。疎遠になると一字すら読まなくなる。そうなっちゃいます。でも気楽に飛ばし読みしたらどうか。確かに、頭に入るのは、一字一句読んでいくのと比べたら劣るかもしれません。それでも完璧を求めて本から遠ざかるのと比べたら、どっちがいいでしょう?本を読まなくなってしまうやり方と、たとえ半分でも本と友達になるやり方と、どっちが正しいんでしょう?云々。
確かそんなカンジの話が、技術論に入る前の、理念として、前提として載っていた。もっともな話である。そしてこれは本に限らず、いろんなことに言えるよなー、たとえば人間関係とか、っと、さっき信号待ちしてるときに思い浮かぶ。
自分の能力以上に振る舞おうとするから、頑張りすぎて疲れて億劫ひいては疎遠になるわけで、もっと気楽に、流し読みのように気楽な気分で、疲れない程度の振る舞いで、適当に数多く接していく方が、自分以上を求めて疲れて疎遠になっていくよりは、真っ当で、もっともだよなーっと。
ま、もっともだからといって、正しいとは限らないけどな!知るか、ボケ。みんながみんな社交に喜びを、親交に価値を見出すと思うなよ。孤独がこの上ない安らぎだって人間もいるんだからな。と、物わかりの良さそうな、良識ぶった、というよりも心底相手のためを想っているんですよというあの自覚症状のない、あたかもその理念の体現者であると言わんばかりの顔をした自分に、自分でキレる。うっさいんじゃ、ボケカス。余計なお世話じゃ。言わんとすることは、そりゃ自分だから、よくわかるが、お前の態度が気にくわない。