子どものとき無条件に愛された人は、大人になったとき、自分のこどもやなんかに、無償の愛を注げるよね、てなことを言ってた人がいたけど、さっき初々しく手を繋ぐ中学生の男女を見たときに、ふとそんなことが頭に浮かぶ。
多分なにもない、金や仕事や将来や年齢やらがないときに、異性から、まあ同性でもいいから他者に*1、愛された経験がある人は自分の中に「なにか」を感じ取ることが、信じることができるけど、経験がない人はその「なにか」を、得ないまま、過ごすんだろうな、っと。
たとえばその経験ある人が金持ちになったとしても、自分の中にある「なにか」、一般的に言えばいわゆる自分自身を、相手は愛してくれてるんだな、なんて思うことができるけど、経験ない人が金持ちになったとしたら、その人は自分の中に「なにか」、他者が愛してくれる自分自身が、あるとは思えないから、もしあるならばとっくの昔に愛される経験があるはずだから、愛してくれる人が現れたとしても、自分の中の「なにか」、自分自身を愛してくれてるとは思えず、どうせ自分の金を愛してんだろ、なんて思っちゃうんじゃないかな、っと。仕事にしろ、将来にしろ、年齢にしろ、自分のレベルではこのくらいの相手がまあ妥当な線かなという打算にしろ。
自分自身なんて幻想じゃん?って話ではあるんだけど、宗教なんかと一緒で、その理論がどうこうじゃなく、それに対する強い信仰があれば、実際に力を持つよね、ってな話。そういった意味で、自分の中に「なにか」が存在していることを信じられる人は強いだろうな、っと。

*1:やっぱ微妙に違うかな?同性の場合は市場が小さいから同性でもイケるってのがポイントになりそうな気が。