• 自分の位置を教えて欲しいという問いに対し、子どもを見ろ。あれがかつてのお前だ。老人を見ろ。あれが将来のお前だ。っつった、深道の話
  • テレビをソースにしてるからあんな考えなんだよ、と年配の人を嗤う、ネットをソースにする若者
    • もし仮に60年代に育ってたら学生運動して、70年代ならヒッピーやって、80年代なら窓ガラス割って、90年代なら安く絶望して。時代とか出来事とかちょっとズレてたりもするけどニュアンス的にはそんなカンジ。はいはい個性個性、わー立派な個性ですねー、っつー。

そう考えてみるとやっぱり、どの人も自分の可能性であるといった意味で、深道の話は全方位的に、そう言うことができるよねっと。ブランド物欲しさに体売ってるソープ嬢も、真面目ひとすじ40年間無遅刻無欠勤のサラリーマンも、野垂れ死にそうなホームレスも、ぜんぶお前だ、お前の可能性のひとつだ、と。
隣人愛的な意味合いでも言えるけど、基本的には、自我、性格思想好き嫌い等々含めた自分自身なんてものは、その程度のもんだよねえっと。自分の頭で考えたと思っていることが、結局は取得してるソースに大幅に制約された、その時代という環境に育った人間に多く見られる一般的な反応結果でしかないように。たとえば、若い世代で言うならば、酒タバコ車いらないじゃん結婚もべつにいいでしょ的な。や、ちょっとニュアンス違うかな。でも、ま、基本的にはそういったカンジ。自分なりの固有の価値観だと思ってるけど、その世代に多く見られる、一般的なものだったりするよね、っつー。
同じように自分らしさなんてものも、思想や考え方なんかも含め、吹けば飛ぶような、せいぜいが統計のゆらぎ程度の偏りしかない、その環境から自然に導かれるごくごく一般的な反応結果でしかないんだから、仮にソープ嬢や、無遅刻無欠勤のサラリーマンや、ホームレスのような環境に置かれたならば、もしもオレだったらそうはならないね!、なんてーのは当然のように維持できず、結局は自然とそうなっていくよねー、といった意味で、彼らは自分の可能性のひとつであり、自分も彼らの可能性のひとつなんじゃないのかな、っと。