他人は自分の鏡である、なんてーのはよく聞くけども、その鏡の中の人間を微笑ませるにはどうすればいいか、って発想はなかった。鏡の中の自分を微笑ませるためには、鏡の前にいる自分自身が微笑まなければならない云々。与えよさらば与えられん。基本根本、みんな自分大好きっ子やねんから、まずは褒めそやさんことにはどんならん。
宅のワンちゃんはまっこともって愛らしく候、いえいえそちらのワンちゃんに愛くるしさといったら卒倒しかねんばかりに候、いえいえ、いえいえ、なんて犬好きの会話のように。いっちゃん可愛いのは自分とこの犬でありよその犬なんか自分とこの犬に比べればカスみたいなもんではあるが、とりあえず褒めといたろか、とまあ、そういうことだよなあっと。
愛されるためにはまず愛さなきゃ*1いけないのは道理ではあるけれど、いわゆる面接空間が、どっちもホントは思ってもないことを、しかもお互いがそれを知っているにもかかわらず、上っ面の言葉を交わし合うあの素晴らしき面接空間が苦手なことこの上ないので、他人の犬を褒めんと自分とこの犬も褒められんのだとしたら犬なぞ飼わず、鏡に向かって微笑まなければ鏡の中の人間が微笑まないのならば鏡などいらず、ってちょっと違うな。これだと違ったニュアンスにも取れる。何もせずになぜオレを愛してくれないのか、っていうあの暑苦しい類の主張とかに。基本根本、面倒くさがりであり、上の犬好きのような会話が苦手であり、べつに犬を褒められることはわりとどうでもよく、というか犬とのふたり暮らしがデフォであるため、苦手この上ない面接空間のような言葉を紡ぐくらいならば、犬飼わないし鏡もいらない、なんて具合。
中途半端なブサカップルが、○○のカッコイイところが好き、□□は一番可愛い、愛してるよ、愛してるわ、的な会話、や、や、おまえら本当はそんなこと思っちゃいないだろ、向こうのイケメンの方がカッコイイし、あっちのおにゃのこの方が絶対的にカワイイってわかってんだろ、ていうかそもそもおまえら自身がそれをいっちゃん、お互いがお互いに抜かしてるたわごとに気付いた上で言ってんだろ、でもーとりあえず恋人欲しいしーそのためにはまあしょうがないけどーここらへんで手を打っとかないとだめだしーてことでとりあえずてきとーな睦言必要だしー、的な会話をするくらいならば、ひとりで本でも読んでる方がずっとええわいと、そんな塩梅。ていうか面倒くさがりの苗が水を得て成長しまくりいまや立派な若木に育った結果、そもそも他人とのコミュニケーション自体が面倒だったり億劫だったり。ここらへんが不適合。

*1:みんな自分が大好きなため自分を愛してくれる誰かが云々