前も書いたけど、後悔しない選択ではなく、選択してから後悔しないこと、だよなあっと改めて思う。結果の善し悪しで選択の是非を判断するならば、後悔しない選択とはすべて最善の結果を引き当てるチートレベルの神業であり、全て見通す眼でもない限り、というかあったとしても、不確実性あふれまくりの世の中だからムリムリムリムリかたつむり。
や、や、違うよ、結果でた未来から過去を振り返ったときに、あの時てきとーに決めないでちゃんと考えてから決めていれば的な意味で、判断の妥当さという意味で、後悔しない選択といってるだけだよ云々、なんて考えなのかもしらんけど、過去の判断が妥当であったとしても、その時に考え得る最善の判断を下したとしても、結局のところそれを評価するのは未来の自分であり、望まぬ結果が出てしまった未来の自分が過去の自分の判断を妥当だと評価しなければ、評価できなければ、いくら過去において考えに考え尽くして、できうる限り最善の、後悔しない選択をしたところで、何の意味もない。そういう風に考えるならば、過去の判断の妥当性如何より将来における態度の方が、後悔しない選択よりも選択してから後悔しないことの方が、重要なんじゃないのかなっと。
それこそが責任ともいえる。如何な結果が出ようとも、過去の自分を引き受ける、未来の態度こそが。そういった意味じゃ、聖杯で国のやり直しを望む王様は無責任極まりないと言える。ま、責任取れてる人が、どんだけいるかっつったら、ほとんどいないんだろうけど。状況が、環境が、運が、他人が、社会が、悪かったよねー、悪いよねー、っつーのも、基本的には一緒だし。
と、まあ、そんなことをわりと重大な選択に迫られた今日、つらつらと考える。もういい決めた。知るか、知らん。俺は文句は言わない、たぶん言わないと思う、言わないんじゃないかな ま、ちょっと覚悟はしておけ。てなカンジだけど、ないよりはマシだっつーことで、文句は言わない方向で、ひとつ、未来の自分さん、よろしく。