「お前が無駄に過ごした一日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった一日なんだ」って言葉を見るたびに、うーんっと唸っちゃうんだけど、これには多分理由が2つあって、そのうちの1つは逆の立場からの意見も言わないとバランス取れないよなあってこと。「お前が楽しく過ごした一日は昨日自殺した誰かが死ぬほど生きたくなかった一日だ」的な。
もう1つの理由は、そもそもからして、誰かの今日と、自分の今日は、全然別物だよなあってこと。生きたい人との一日と、死にたい人の一日と、平々凡々と暮らす自分の一日は、そら量的には、一日24時間という時間の単位としては、同じかもしらんけど質的には全然ちがうわけだし。生きたい、死にたい、なんてーのが特別な例ってわけでもなく、たとえば同じ学校、あるいは職場に通っている、生活リズムやパターンが似ている人間同士だとしても、それぞれの一日は、給食にトマトが出たことを最悪と思ったり最高と思ったりするように、あくまでそれぞれ個人の主観的な、てんで別物なわけなんだから。好きにさせい、と。全然違う誰かの一日を持ち出して、拘束しようとすんな、と。全力で無駄であろうと、自分の好きなように過ごさせい、いう。