後悔というのは決断できないことから、判断を行動に移せないことから、生じる。
トイレ行きたいなあって思うも、でもまあ限界ぎりぎりってわけじゃないし、まだちょっと作業してから、てなカンジにぬるいこと考えてる間に家の誰かしらがトイレに入ってしまった時の絶望感。そんな絶望感に打ちひしがれながらそんなことを思う。というかいま。現在ナウ進行形。風呂とかもそうだよね。おいいいいい、あああああああ、ってなる。
老人ホームで、いままで生きてきた中で後悔したことはなんですか?ってアンケート取ったら、なにかをやって失敗したということを後悔しているって人は全然おらず、やらなかったことを未だに悔やむって人がほとんどだった、みたいな話があるけど、あれも多分こういうことなんだろうなあっとか書いてる間に2人目がインザトイレ。ああああああああああ。


ふー。思い立ったが吉日じゃないけどさ、もし頭に浮かんだ瞬間に行動に移してダメだったとしても、それは運がわるかったってだけの話だけど、トイレ行きたい→誰かしらが一歩先にトイレへ→運がわるかったなあ、もし頭に浮かんでから行動に移すまでの間に失敗してしまったら、運がわるいで済ますことはむずかしい。頭に浮かんでから行動に移すまでの間、その時間の責任が、自分にあるって考えになりやすいから。考える余地が生まれるから。ま、もちろん、後悔しない決断をではなく決断してから後悔しないこと、を実践できてればそんなことはないんだけど、そんなメンタルはやっぱ実際むずかしいから、その余地をつくらないことを、李下で冠を正さないように、後悔する余地を減らすことが、わりと結構重要だろうなあっと。