小説を読むようになって良かったと思うことは、d:id:snyd:20091212:1260593025、みたいな物語の蓄積もあるけど、人間のデータベースが蓄積されてくことの方が大きいのかなって思う。いろんな考え方のいろんな生き方をするいろんな人間のリストが増えてくことで、正しさっていうのがなくなっていくから、他人にも自分にも寛容になれる。あー、この人はこういう人なんだなあっと素直にデータベースに追加できるし、これこれこういった人間こそが正しいのであるからしてそこから外れている自分は人間のクズである的な余裕のなさもなくなる。
人間のデータベースが蓄積されていくことで正しさが、そもそもなくなる場合のが多いだろうけど、強いて言うならば平均や中央値に置き換わる。多くの人とちがう要素を持っていても、正しい人間から外れている人間以外の何かではなく、こいつはこういう人間であると離れた位置に、しかし人間のデータベースの両翼内に*1、位置づけられる。そ。自分はこういう人間である。居直りや開き直りではなく、すっと、そう言うことができる。人間データベースの中に位置づけることができる。それが良かったと思う点。

*1:仮に両翼から離れた位置だとしてもそこが新たな端となる。50の人間が100いるところに3の人間が来たら人外的な位置づけになりかねないけど、5から90までばらばらにそれぞれ適当な数がいるところに(平均50)、3の人間が来たとしても範囲が3から90になるだけのように。