人生の定義

40歳で嫁と子供を放っぽって絵描きの道へダイビング。最低という自覚はあるが反省はしてない。それがどうした?そんな調子。そんな人に対して、せいぜい三流にしかなれない公算が大なのに今の生活をすべて投げ出す価値があるのですか?と聞くことのバカバカしさ。
人生の定義の話になる。結果を取るか過程を取るか。結果を取るならそういった経済的な観念が通用する。うまい棒を10本買うよりも、アメを5個とうまい棒5本買った方が効用が大きいといったように、せいぜい三流にしかなれない絵描きを選ぶより、平凡ながら幸せな家庭を維持できる株式仲買人としての生活を続けた方がいいという考え。
過程を取る場合それは通用しない。そんな考えを持ち出されたら、おまえはあきれた馬鹿だな、となる。結果的に多く得られるからといって、やりたくもない仕事をして、やりたくもない生活を送るのか?たった一度きりの人生を?そんな具合。
どっちがいいといかではなく、定義の問題。価値観の問題。生きて何を得るか、いかに生きるか。