人生の真実

「人生の真実」なんてものがあるとしたら「人生が真実」だってことくらいだろう。
現実の背後に本当で本当な真実なんてありはしない。そんなものはどこにも隠さちゃいない。剥き出しの現実こそが真実に他ならない。
だからこそ彼らは誰よりも賢い。芸術を必要としない人、本を読まない人*1、春を春のままに楽しめる春のような人は。どれも文字通り現実以外を必要としていない。今ある目の前の現実をそのままに受け止めて生きている。
たとえ現実に新しいものをもたらす人がそうじゃないとしても変わらない。いわゆる現実以外のものを空想し発表し数十年後か数百年後に現実自体がそれを目標に動き近づき実現したとしても、何食わぬ顔どころか全くの意識もせずに、現実のおいしいところを受け入れる。彼らはいつの時代も現実に生きるのだから。むしろ、わざわざ現実で楽しいこともやらずに、彼らの現実をゆたかにして養分乙、ってレベル。
ま、だから、どうだっつーと、プラグマティックにゴーっつーくらい。だいたい、うまいことやろうと思ってどうにかなるんなら、すでにどうにかなってるだろうし。というか、現実でうまいこといかないからってハーレクインを読むのと、うまいこといかないのはもうどうしようもないからってその時間を有用に効用を高めるためにハーレクインを読むってのは、一体全体どれくらいちがうもんなんだろうね。そもそもちがいをつける必要があるのかな。なんて思う。ま、ちがうっちゃちがうか。無垢≠キレイ、未使用の真っ白い皿と、泥水につけたけど水で洗ってまた白くなった皿みたいなもんで。覚悟が完了してるか否かっつー意味で。ま、偏見なんだろうけど、ハーレクイン読んでる人らはずっと健全で、賢くて、折り合いつけてるように思う。哲学やら思想やら文学やらにかぶれてる人らよりは。男性版の似たジャンルであるラノベよりも頭ひとつ抜けて折り合いつけてるように感じるのは、女性ならではの適応能力といっていいようにすら思える。

*1:清涼院