今更な話

もしも聖母が、自らが聖母だという自覚を剥がされて、その聖母としての性質のみを携えて今のこの世に生まれ落ちたとしたら、いったい全体どんな生涯を送るのだろうか、なんてAVを見ながらふと思う。
そういった点じゃ、娼婦こそが聖母であるっつー話は、なるほど、けっこーわかる気がする。彼女の愛がひとりだけに向くと考えるよりも多数に向くというのは自然であり、ボランティア的な実践よりも娼婦的な実践の方がそのばつぐんの効果や自己犠牲という面から考えても、わりとありな気がするから。
ま、AVからそれを連想するおめでたさはさておき、女優というのはどこか苦行僧めいたところがあるように思う。レイプ物じゃなく、頭からっぽの笑顔で喜んで奉仕する系とかに。感情労働ではあるんだけど、デブった毛だらけのおっさんを笑顔で舐めてる様とか見るに、やはり修行の一環というか、実践家という印象が強い。ま、オブジェクト扱いというか、物扱いしてんだろうけど、もしそうじゃない人がいるならば、や、もしそうだとしても、か。念仏を万回唱えれば悟りが開けるってのはその行為自体が、単純な作業をひたすらに繰り返すことで無心になりやすく云々みたいな話のように、たとえ物扱いしようが何百何千回と繰り返すことでかんぬん。ま、多く愛せば、その多くの罪は許されるらしーし、それはそれでいーんじゃないかな。どーでも。