我は神、神は我

なんておっしゃる方のインタビューを読む。噂には聞いていたがそれ以上に奇天烈。しかし、人間そのくらいで、ちょうどいいのかもなーなんて思う。
宇宙の神になることは難くとも、自分の神になることはできるわけだし、そういったフレームワークで考えるならば、宇宙だ世界だっつったところで直接そのものに触れるわけじゃなく結局自分というフィルターを通して理解しているのだから、その入力器官で待ち構えてるっつーか、そもそもの構造的にいえば神と人のような構造がそこにはあるんだから、臆することなく気にすることなく、堂々と、私が私の神となっちゃってもいいんじゃないかな、っと。
もちろん、そこには独善*1さんが手招きして待ち構えてるわけだけど、戴く神を間違えたり、何を戴くべきかわからずあたふたしたり、何も戴かず不安になったり、ていうか全般的にそこらへんで消耗しちゃって、すいませんすいません生まれてきてすいません、わたしのすべてがすいません的なノリと比べたら、独善さんと隣あわせだろうが、下手に指示待ち人間に徹してしまうよりは、自分が自分の神になっちゃう方がよっぽど健全でいいんじゃねえかな、っつーさ。
デメリットとしては的外れになりやすい。宗教を例にとればその教義は、社会で受け入れやすい教義が残ったり教義に合わせて社会が変容したりで、基本的に社会にフィットしてるからそれ守っておけばそんなに外れないけど、自分が神になるとそこらへんの指針がないから、よくもわるくも的から外れやすくはなる。でも、まあ、メリットとしては圧倒的な自信を手に入れることができるから、そういった意味じゃなにかと捗るだろうし、過剰な自信によるうっとうしさもあるだろうけど、そこらへんも含めて補って余りあるんじゃないかな。

*1:一般的な意味での