なべて世はこともなし

スヌーピーの配られたカードで勝負するしかないのさやら、ジョブスのconnecting the dotsやら、基本的に同じことを語っている。その場にあるカードでしかゲームは執り行うことができない。つーこって、まあそれなりに、その場のカードなりに、ゲームは進む。
で、そっから星座のような、小説のような、あるいは歴史のような、人間の脳の認識的な解釈が後付けで行われる。ただの星に線を引くことで何かに見立てるように、大したことのない出来事をつなぎあわせてご大層な出来事みたいに語るように、偶然のゲームも必然であったかのように、深謀遠慮の結果であったように語られる。
その場にあるカードでそれなりにゲームが行われ、その後にご大層な出来事であるかのよう語られる。なべて世はこともなし。そりゃそうだ。今よりひどい世界は見ることができないし、同様に、今よりいい世界も見ることができないんだから。この世界こそが唯一無二で、必然で、すべてに意味があり、すべてが神の設計図通りで、神の御意志のままに進んでいる。
アホか。

イケメンを見た

俳優レベルのイケメン。遺伝子がちがうなあ、なんて思って、ふと考える。生まれつきで外見がこんなにもちがうように、内面もちがうのならば、結構すげえ話だよなあっと。思考能力だったり、性格だったり。昨日の今日で何言ってんのって話だけど、M型遺伝子異常という犯罪遺伝子の話でもあるから、マンガ読んだのが昨日で、イケメンを見たのが一昨日の話だから、しょーがない。
優生学は要するにカーブフィッティングと同じ罠、一時的には良い結果を残しても長期的にはより悪い結果となりやすいから、おすすめできない。おとなしくて蜜が多く取れるハチをメインに品種改良した結果、ある種の毒素に対しては耐性がなく壊滅したように、多様性をなくすことで、脆くなる。気性が荒く蜜が少ないハチが、その当時は存在しなかった毒素に対しては耐性を持っているかもしれないように、予期しえない環境世界の変化に対して、どの特性が幸いするかは誰にもわからない。環境世界のすべてを予期しえるようになれば、この世界どころかこの宇宙すべての動きをシミュレーションでき未来予知ができるようになるのならば*1、そういった最適化も意味を持つんだろうけど、そんなことは、まあ、ありえないだろうから、最適化なんてやめといた方がいいだろう。
ブサイクで性格がわるくても将来の変化に対応できる何らかの特性を持っているかもしれない。その時のための保険。いざというときのカードの数こそが、余裕というか、バッファというか、効率は落ちるけど、長い目で見れば結果として効率は良いっつーか。アクティブファンドよりインデックスファンドとか、14勝1敗の相手は1勝14敗に転じやすいが9勝6敗の相手は1勝14敗になることはほとんどないっていう話とか、優位性のある戦略でも過度なリスクを背負うと序盤のゆらぎで破産しかねないって話とか、そんな感じ。

*1:隕石が落ちてきて寒冷化とか

狂四郎2030

初めて読んだけどすげえマンガだな。名前の響き的にヤンキーマンガかと思ってたけど、全然ちがった。
ていうか今じゃん、っていう驚き。食料不足により第三次世界大戦が起きたその世界では、出産数を制限するために男女は接触を禁じられ、別々のところに住み働き死んでいく。
あるのはバーチャSEXマシンだけで、それを使うことで再現度の高い、都合のいいバーチャルを楽しむことができる。生身の異性を何年も見ることもなく、これから先も見ることのない彼らにとってはそのバーチャSEXマシンだけが唯一なんだけれど、それもすべての人に与えられているわけではない。懸命に働かなければ与えられないし、与えられていても、懸命に働かなければ取り上げられる。
通常はどのマシンの相手もNPCデータなんだけど、主人公のマシンだけは北海道の基地に住む技術者にハッキングされていて相互通信になっており、マシンの向こうには技術者である生身の彼女がいた。それを知った主人公はバーチャルだけでは満足できなくなり、危険を冒して、彼女に会いに行くことにした。
みたいな話なんだけど、わざわざ隔離なんてせずとも、似たような状況になってるよなあって驚き。AVやら二次元やら、男に限らず、女でも。単純に水は低きに流れる的なことなのかな。しかし、こういう話を読むと、例えばBECKで平凡な中学生である主人公がバイリンガルでモデルもやってる美人な子に好意を持つも住む世界が違うって諦める下りとか、なんだか頑張ろうって気持ちになる。同じ地球に住んでるんだし、接触したところで殺されるわけでもないんだし。しかし水は低きに流れるとしたら、ちょっと考えなければならない。それこそ禁止するとかね。まあ認識だけはしておこう。認識することではじめて救済のチャンスが生まれる。

連日連夜の寝落ち

編集画面を開く、ちょっとネットでもみるかな、ちょっと横にでもなろうかな、朝、みたいな展開。
疲れてるっていうよりは年なのかなあ。30代になると肝臓の処理能力は衰えているのに頭は20代のつもりだから酒で失敗する人が増えるとか、運動会でこけるお父さんは若い時にインプットされた走行データに衰えた体がついてこないからこけるんだ、って話みたいなもんで。

世界は何も変わっていないのに仮想的な左脳的な要因で浮き沈み

リチャード・デニスがいうところの正しい金銭感覚的なものを身につけたい。石炭を掘る仕事をしていた父には商品取引で数秒のうちに50ドル損することに耐えられないだろう。父にとってそれはもう8時間石炭を掘らなければならないことを意味するからだ。という一般的な金銭感覚とはべつの正しい金銭感覚。金とは所詮、仮想的なものであり、ゲームの点数のような、野球の打率のような、ただの数字に過ぎないというある意味キリスト教徒的な、彼は元々カトリック系の家ではあるが、そんな価値観。
あるいはファインマンの父のような、ローマ法王に向かって多くの人がひざまずいてる写真を見せて、ローマ法王と彼らのちがいがわかるか?着ている服がちがうだけさ。的な価値観。増幅することなく、そのままに近い値を、見たい。