昨日

「なにがしかの価値を得たいのならば、世界にコミットメントしなければならない」
的なことを書いて、消して、べつのことを書いたわけだけど、今日、適当に本を読んでたら、偶然、ちょうどいい言葉が書いてあった。
「不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればよいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように」
出典はアランの幸福論。ええこと言うわ。ずっと座ってきた自分が言うんだから間違いない。ええこと言わはる。

メンタルが強い

すべり気味の空気でもネタをやりきる芸人的な行為のことをメンタルが強いとよく言うけど、見てるとあれは、メンタルが強いというよりはそもそも周りの空気をあまり気にしていないように思える。
周りの空気がどうであろうと今は自分のターンじゃん的というか、そもそも周りの空気によって自分の出方を変える必要なんてないでしょ?的というか。折れた足をいじられると彼は痛いがわしは痛まないを地で行ってるともいえる。
もちろん空気を読む力は、相手の反応によってこちらのリアクションを修正して対応していく力は、MCだったり便利な出演者的なタレントは、幅広く適用できるものではあるけれど、自分のターンになったら周りのリアクションを気にせずにやり切る力は、そのスイッチをオフにすることが可能になるのならば、兵藤会長が言うように、身につけておきたい能力である。
呪いや悪口で人が死ぬというのは、その言葉自体が力を持っているのではなく、それを受け取った人の中で変換されて力を持つように、どれだけすべった空気になったところで私の心は傷つかない。私の心が傷つくのは、自分の渾身のネタが肯定されなかったと、私自身が肯定されなかったと認識することで、初めて傷つく。今日の客は合わんかったな、まだ時代が早すぎたかな、と認識した人の心は傷つかない。
いやあ、でも、こんなリフレーミング的なものではなく、メンタルが強いと言われる人はそもそもそんなことすら気にしていないように思えるんだよな。あー、すべった、すべった、で?っつーか、すべったところですべっただけじゃん?っつーか、根拠のない自信が大きいというよりもむしろすべることと自分の価値が全くリンクしていないような、わしは傷まない的な素晴らしい姿勢。はー、すべったねー、それより今日のメシなに食おっか?的なそもそもすべることすら気にしないスタイル。
ひとがどう思おうとかまわない。そんなことより自分がどんなことに興味を持つか、世界が自分をどう思うかよりも、自分が世界をどう思っているか。どちらが大事かだなんて考えるまでもないじゃないか。そんなファインマン的な自由さが備わっているようで、素敵だと思う。

「しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない」 エゼキエル28:2

主を畏れることは知恵のはじめである、ってのはわかりやすいところだとこーゆー意味なんだろうなあ。
調子乗んなよ、所詮はただの人間だし、ひとりでできることはしれてるぞ、っつー。謙虚な気持ちを保てるというか、その姿勢。君子は下問を恥じず的な、柔軟で感じのいいおっちゃんに近いもんがあるんじゃないかな。
ちなみに、この後の下りは、調子乗ってっから滅ぼすけど、お前そんときになっても自分は神だなんて思えんの?っつー、お前それサバンナでも同じこと言えんの?的な展開。それは既に我々が2000年前に通過した場所だ、を地で行く話。

「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、あなたは心に高ぶって言う、『わたしは神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と。しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない。
(略)
それゆえ、主なる神はこう言われる、あなたは自分を神のように賢いと思っているゆえ、見よ、わたしは、もろもろの国民の最も恐れている異邦人をあなたに攻めこさせる。彼らはつるぎを抜いて、あなたが知恵をもって得た麗しいものに向かい、あなたの輝きを汚し、あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の中で殺された者のような死を遂げる。

それでもなおあなたは、『自分は神である』と、あなたを殺す人々の前で言うことができるか。あなたは自分を傷つける者の手にかかっては、人であって、神ではないではないか。
ttp://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8%28%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%29#.E7.AC.AC28.E7.AB.A0

Winter's Block

「すべてが雪なんだ。マインクラフトに出てくるような立方体じゃない。スコップで掘ればスコップの形に掘ることができる。そんな普通の雪なんだけどすべてが雪なんだ。掘っても掘っても雪がなくなることはない。前も後ろもない。すべてが雪に囲まれたなかに取り残されるんだ。あるのはスコップだけ。5mとか10mとかそんなもんじゃない。もしかしたら1000km進んだところで雪が続いてるかもしれない。そんな雪なんだ。四方が雪で囲まれている。どこを掘るのが正解かわからない。前の雪はハズレかもしれない。それどころか四方すべてがハズレかもしれない。もちろん、逆の可能性もある。前の雪は当たりかもしれないし、四方すべてが当たりかもしれない。でも雪の壁の厚さがそんな気持ちを阻むんだ。もちろん見渡すことなんてできないから目の前にある平面しか見ることができない。でもその平面の奥にある莫大な質量に圧倒されてしまうんだ。平面からは奥にどれだけの質量があるかはわからない。だからそれは勝手につくりだした幻想なのかもしれない。でもそんな幻想に圧倒されて立ちすくんでスコップを持つ手が止まってしまうんだ。そんな雪なんだ」
「なんの話?」
「Winter's Blockについての話。物が書けなくなることを意味する英単語なんだって」
「Writer's Blockだけどね」


ttp://www.welluneednt.com/entry/2015/01/28/173100
普通に見間違えた。てか知らんかった。文化的雪かきみたいな話かとてっきり。
これは、まあ、手段と目的系の話というか、結果を求めたら掘るのもつまらないけど、掘ることに楽しみを見出したらそこそこ楽しいんじゃないかなっつーベタな話。

揺り戻し

市場への人為的な介入が結局は元に戻ったり、あるいは、介入する以前より悪化するように、行き過ぎた状態は揺り戻される。ただ揺り戻されるのではなく、Aとは逆のBの方向に大きく反動し、その反動の反動としてAの方向にまた戻し、その反動の反動の反動としてBの方向にまた戻すという形をとって、徐々に一番適当な均衡点へと近づいていく。
10年くらい前。マスコミの親韓に対してネットでは嫌韓の流れが生まれていた。その時にそのようなことを、隣国との友好のために意図的な態度を取り続けると逆にその揺り戻しとして悲惨な結果、彼らが意図した友好とは真逆な結果が待ち構えているんじゃないかな、なんて思ったけれど、そのとき想像した以上に悪い状況になってる今日この頃。
まあ、真面目な祖父に反発した結果として遊び人になった父に反発した結果として真面目に育った子のように、市場介入の結果倍戻しした後にまた反発し元に戻る相場のように、この後の流れとしては嫌韓する大人に嫌気がさした世代による親韓的なものだろうけど、元々の動きから、戦争の反発として親韓、親韓の反発として嫌韓嫌韓の反発としてと考えると次の動きは、人口的に考えても、コミュニケーション手段の発達によるタイムスパンの縮小的に考えても、それほど強いものではなさそう。
唯一怖いのはオーバーシュート。ストップがストップを呼び相場が行き過ぎた値をつけるように、ある状況が過熱しすぎると行き過ぎてしまう。ネットっていうのは増幅する効果もあるけれど、そのスパンの短さから、揺り戻しが早く起きるようにも思う。あるいは飽きる速度が早いともいえる。はてさて。

悲劇は自覚しているが喜劇は自覚していない。わかっている観客が、わかっていない登場人物を笑う構図。目の前につるされた人参を追いかける馬のよう。
どれだけの人が笑っていられるか。希望に支配されてない人がどれだけいるか。身銭を切って宝くじを買う人。1ヶ月の稼ぎをFXに投じ続ける人。見込みがないのに夢を追い続ける人。
喜劇もまた悲しい。