恋するのは誰か

この前書いた欲望するのは誰かと一緒。今回の例は、すでにお姉様がいるのに違う先輩を好きになってしまった子(狸)が、お姉様や周りに責められる話。どうしてお姉様がいるのに他の人を好きになるの!?一体どういうつもりなの!?と言われても子狸的には知ったこっちゃないよなっと。
前回の例『好きで同性を好きになったわけじゃないし、同性愛なんて気持ち悪いことだっていうのもわかってる!でも女の子のことを好きになっちゃうんだからしょうがないじゃない!』ってのを踏まえるならば、痛みが身体の異常を中央に伝達する末端からの報告であるように、中央の大本営が先輩を好きになるぞーって意志決定したわけじゃなく、気が付いてたら好きになっていた、先輩に多大な好意を抱いているであります!って情報が下から上がってきただけと言うことができるんだから。
だからまあ知ったこっちゃないってのは確かなんだけど、仕方がないと言えば仕方がないのかな。以前、左と右の高校生がネットで論争してるときに、何十年も前に先祖がやったことを自分たちは未来永劫償わなければならないのか?それは殺人者の子が何の責任もないのに責められるようなものではないのか?って意見に対し、バカか?人と国とは違うんだよ。同じ国を名乗り続ける限りその責任は果たされなければならないんだよってのがあったけど、それに似てる。
例えば厳密に言えば昨日の私と、今日の私が違うからといって、昨日の私が犯した過ちの責任を、それは昨日の私がやったことであって今日の私じゃないもーん、今日の私は知らないもーん、なんて抜かしたら、あっという間に社会からハブられる。一貫した責任主体でない人間なんて相手にしてられないから。だから私は私という国家のようにあらねばならない。そう考えるならば、たとえ自らが預かり知れないところで同性だったり先輩を好きになったとしても、私という国家は責任を取らねばならない。すでに姉妹の契りを交わしているにもかかわらず、他の先輩を好きになってしまうという、姉妹制 度の道義にもとる行為をしてしまったのだから。いやロザリオ返せばいいだけなのか?よく知らんけど、まあ、なんか常識には反してたんじゃね?えらい責められてたし。
そんな感じでこんな感じ。まあ致し方ないことではあるんだから、社会はそれを許容できるくらいに設計された方がいいよなっと。同性愛で投獄なんてえのは割とベタに見られることではあるけれど、そういったことがないように、って感じでさ。