善悪

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正義より悪が魅力であるのは正義が正義だなんてものに縛られているのに対して悪は縛られないからだろうな。己が欲すままに、って感じで。それに加えて縛る正義も今やカスッカスになってるからな。

昨日読んだSSが割とわかりやすい例だった。決して善ではない、というかむしろ悪とされる手段を用いることが多い主人公が、ある時迷わずに善と呼ばれる行いをしようとするのを見て、悪だ悪だと人々に呼ばれてた少女はキレる。貴様に悪としての誇りはないのか!?そして主人公は答える。ねーよ、ばーか。善だからするわけでも悪だからするわけでもねーよ。俺は俺がしたいことをしてるだけなんだから。悪だからそうしなければならないだなんて縛られてるお前ってバカじゃね?っと、まあそんな感じのことを。
引用の場合は正義だけだったけど、この場合は悪とされる少女も縛られてるように、彼らの場合は善悪が行動に先立ってしまっている。快楽主義者とカテゴライズされるだろう上記の主人公と彼らの一番の違いはそこで、彼らは善悪が行動に先立っているのに対し、主人公は行動が善悪に先立っている。善だからする、悪だからしない、善だからしない、悪だからする、なんてことには縛られず、自分がやりたいと思うことをするだけであって、善悪はその後についてくるものだと認識している。
だから一般的には普段悪とされる行いをする者が善とされる行いをするのは偽善であると躊躇われるが、彼にはそんなことがない。やりたいと思うことに従って行動していたら悪だというレッテルを貼られたが、当人としては悪なんてちゃちなものに従っているわけではないので、助けたいと思う人が現れたら全力を以てその人を助ける。偽善ではなく、自らがしたいから、という行動原理によって。
突き詰めるとフレームなしなんて無理じゃね?って話になる気がしないでもないけど、まあそこはいいじゃない。そこまでの厳密性持たせなくても、明らかに善悪が行動に先立って操り人形的になってるよりは、いくらかは。どうせ踊らされるならせめて好きな踊りを。