スクラッチくじ買ってきた

外れた。これ絶対菓子とか肉とか買った方幸せになれたって。まあそう思えるだけ現在の精神状態は割といいってことなのかな。精神的にやばい時とか本当あれな考えになるからな。自分の人生には宝くじで一発当てるしか道はないんだ…的な。夢を買うというかその可能性を買う。当選発表がされるその日までそんな考えに縋りつける権利を買う。そんな感じだよね。
と、まあ、話を戻して今日のスクラッチの話。何だかんだこれで当たってたら逆に怖かったと思う。額が大きければ大きい程、可能性が低ければ低い程、その大きさにやられてしまうだろう。もちろん1000万分の1だろうがただの偶然に違いないんだけど、この流れでその偶然に出会ってしまった場合、それを偶然と受け入れることは難しいだろうから。そこに超常的な力を感じ、偶然ではなく必然であると、その背景には何らかの大いなる力と意志が存在すると思い込み、畏れるが故に崇める。
昨日の話と一緒だわね。要するに、世界と人間が存在する時、人間の側で理解しきれない解釈しきれない消化しきれない世界の現した出来事を、理解し解釈し消化するための運動、わけがわからないただひたすらに恐ろしい畏れを、人間側の理屈で理解し解釈し消化することによって取り込む行為、そんな感じなんだろうな。
この場合は下の話の流れで1000万分の1の偶然を引き当てるというにわかには理解し難い現実を、世界の向こうには神様的な超常者が御座せられ、その超常者が自分に本気を出させるために云々とか自分を試すために云々とか、こちら側の人間側が理解できる理屈で、解釈して目の前の信じがたい現実を受け入れようと脳が頑張るってな感じだろう。