まあ一番シンプルなのは

目の前の3次元がデフォなことだわな。3次元は汚いって言う場合、明らかに基盤は2次元にある。デフォが2次元になってるから、そもそもからして3次元の粗が目立つ。2次元なんて頭のおかしい奴らだけだろって感じかもしれないけど、例えばどこぞの内戦地帯で道を歩けば知り合いの死体がごろごろ転がってるとする。それを見たら大抵の人は地獄だなみたいな感想を抱くと思うけど、それは何と比べて地獄なのか。過去だったり平和な他の国だったり、目の前ではない3次元がデフォだから、それと比べて目の前の3次元は地獄だ最悪だってことになる。まあ、地獄の定義に目の前の現実が当てはまるからそう思っただけだよって人もいるかもしれないんだけど。
まあそんな感じで昨日の話に繋がったり繋がらなかったりもするんだけど、他の現実を基盤にすることができるのは優れた能力でもあるから難しい。例えば動物は復讐しないって話、ライオンに母親を殺されたシマウマの子や妻を殺された夫が復讐するだろうか、のように彼らは忠実に現実を受け入れる。それが如何な辛い現実であろうとも。でもそれは他の現実を保有できるだけの能力がないからでもある。過去という現実を保有できなければただ目の前の現実を受け入れるだけしかない。同じように、未来という空想を持たなければ目の前の現実をその方向へと変えることなんてできないし、ただ現実を受け入れるだけというのは動物のようにたとえ何をされたとしても淡々とそれを受け入れ続けなければならないということでもある。気まぐれで財産を全部喪失させられたり、10人の子どもを全滅させられたりしてもだ。だからそこらへんのさじ加減が難しくもある、っていうか、まあ趣味の問題だろうな。メリット大きいけどデメリットも大きい空想保有か、メリット小さいけどデメリットも小さい現実直視か、的な。だーるい。